明治・大正時代の銀座

江戸時代の銀座は、大いににぎわいを見せた街でしたが、幕末のころになると、にぎわいはなくなり、廃れていきます。
明治時代に入ったころ、銀座の街は大きく変貌します。明治5年に起きた大火事がきっかけとなり、明治政府の指導により、西洋風の煉瓦街に変わっていきました。
また、横浜と日本橋をつなぐ鉄道が日本ではじめて開通したこともあり、駅前の商店街には、多くの市民がお店を構え商売を始めました。パン屋、時計商、洋服店、洋食屋など、多くのお店を銀座の市民が開き、街を活気づけていきました。
大正時代になると。「銀ぶら」という言葉が生まれました。この言葉には諸説ありますが、「銀座をぶらぶら歩く」ことがかっこいいと思う人たちが現れたり、銀座でブラジルコーヒーを飲むことを「銀ブラ」とい呼ぶなど、銀座という街が多くの人々に認知され、愛されていきました。